ドライカットヒストリー - アンディーヌドライカット誕生秘話 - | |
私たちが現在のカット技法にたどり着くまでに長い歴史と、試行錯誤がありました。 「カット」と言うカテゴリーを語る上で、欠かせないのは、シザーのみで ヘアデザイニングをするという考え方を作り出した時代から、紐解いてみたいと思います。 皆様ご存知のように、「ヴィダ−ル・サッスーン」と言うロンドンのヘアデザイナーがいらっしゃいます。 その方は「ブラントカット」の創始者で、5インチの小さなシザーを駆使し、60年代に、カットテクニックに革命を起こします。 それまでの美容界はレザー(剃刀)で削いだ後、セットするという一辺倒であったのですが、 カットで形を作るという概念は画期的であったのです。 まさに現在の美容界のベーシックを築き上げたと言っても過言ではないでしょう。 そしてその後「ジャン・マルク・マニアティス」と言うパリのヘアデザイナーが台頭して参ります。 アランドロン、ソフィーマルソー、カトリーヌドヌーブなど顧客に持つその方は、ドライカットの創始者で 「ソバージュスタイル」を発表し、ナチュラル、シンプル、フェミニンと言うパリらしさを前面に打ち出した新たなジャンルを築きます。 「エフィラージュ」と言うドライカットを打ち出し、そこから生み出されるヘアスタイルは 「パリのエスプリ」がふんだんに醸し出される、今までとは一線を画したスタイルでした。 その後、日本でのフランチャイズサロン展開が始まり数年した後、時は平成元年、武者修行に上京した私は、 都内のフランチャイズのサロンに就職し、オープニングメンバーに加わり、 トレーニングに参加させていただいていた時に、運命の「ドライカット」に出合います。 しかし当時の日本での考え方は正に「ブラントカット」一色。 新鮮ではありましたが、ほぼノンマニュアルの、全く理解不能な異質なカット技法に映りました。 そこで、そのインストラクターの方には、そんな日本の現状を理解し、ブラントカットとドライカットを並行させたり、 ミックスしたりし、理論的に判りやすく教えていただきました。 そこから少しづつですが理解することが出来たのです。もちろん、マニアティス氏にも何度も来日し、 モデルを使ったティーチングを行っていただくことが出来ました。 しかし欧米人の「シルク」のような髪質とは異なり、「木綿」のような東洋人の髪質では、教わったことと同じようにカットしても サロンワークではなかなか思うように行かず、イメージしたスタイルをカットし終えるのに時間がかかりました。 「人の髪」を扱うのは、モデルウィッグ(人形の髪)をカットするのとは訳が違います。 しかし実際に、十数年に渡る、日々のサロンワークや合同トレーニング、そしてパリ研修などから理解し、 少しづつですが日本人の髪質にも落とし込んでいくことが出来てきました! 試行錯誤し日本人の髪質に、ドライカットテクニックのアレンジをし続けることで、 求めていた質感の表現が可能になって来た訳なのです! そして巷のカリスマ美容師ブームの頃、2000年にアンディーヌをオープンいたしました。 更に日々の営業の中から編み出された「アンディーヌドライカット」誕生! 1988年に初めて出会ったドライカットが進化し続け、現在に至ります。 そこには何よりも、一人ひとりのお客様方の日々のご支持の上に成り立っていることと深く感謝いたしております。 これからも、更なる進化を続けて参りますので、どうぞご期待くださいませ!! |
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